正法眼蔵第36巻「光明その2」

西嶋老師の講義 2005年01月13日

開経偈 唱和

 昨年はたいへんお世話になりまして、本年もよろしくお願いしたいと思います。

 新年に当たりまして私が一番関心を持っていることは、やはりこの三十日に行なわれるイラクの選挙が無事に終わるかどうかということを心配しております。

 イラクでは治安というものが必ずしも十分に整ってきていないという情報もありますし、また、イラクの総理が選挙がひょっとするとうまくいかないんではないかというふうな話をしておりますので、まだ事態があまりはっきりと確定してはいないと、こういうふうに見ることができます。

 イラクの総理が必ずしも治安が維持できるかどうかわからないといっていることが、多少の不安を述べて国民が一所懸命投票に参加するように布石を打っているのかという気もしますし、また、非常に悲観的な意見を述べてアメリカの政策に対して必ずしも同調していないというふうな態度なのか、いろいろ理解の仕方はあります。

 イラクの選挙がうまくいくかいかないかということは、テロリズムを背景にした世界の非常に広範囲の勢力が生き残って人類の文化が危機にさらされるかどうかという大きな問題を含んでおりますから、その点では、イラクの選挙がうまくいくかいかないかが私は人類の文化にとっては重要な問題だと、そういうふうに見ております。

 残念ながら楽観的にうまくいきそうだという予言もできませんし、そうかといって、イスラム系統のテロリズムの勢力があたかも勝利を得たような感想を持って各地で似たような事件が起きることを避けたいというふうなことと、両方の感想を持っているということが実情であります。

 それではまたこの本のほうをやってまいりますと、きょうは一二八ページの「光明」という巻のところからになります。本文を読んでいきますと、

 「唐憲宗皇帝は、穆宗・宣宗、両皇帝の帝父なり」、唐の時代というのは中国の文化でも非常に優れた時代でありまして、当時の文化は世界の文化の中心であったというふうに歴史的にもいわれております。その唐の時代の憲宗皇帝という人は穆宗、宣宗という二人の皇帝の父に当たる人であった。

 「敬宗・文宗・武宗、三皇帝の祖父なり」、そうして敬宗、文宗、武宗という三人の皇帝が立ったわけでありますが、その祖父に当たる人である。

 「仏舎利を排請して入内供養ちなみに、夜放光明あり、皇帝大悦し、早朝の群臣、みな賀表をたてまつるにいはく、陛下の聖徳聖感なり」、「仏舎利」の「舎利」というのは遺骨という意味でありまして、釈尊の遺骨とされているものを中国の皇帝で受け入れて、その皇帝の住まいにおける供養のときにその釈尊の遺骨とされているものが夜光を放った。そこで、「皇帝大悦し」、皇帝はそのことを非常に喜んで、「早朝の群臣、みな賀表をたてまつるにいはく、陛下の聖徳聖感なり」、皇帝が釈尊の遺骨が光を放ったということで非常に喜んだと同時に、「早朝の群臣」、「早朝」というのは早い朝ということでありますが、中国では早い朝にたくさんの家臣が集まって来て政治を議論したという習慣がありましたから、この「早朝の群臣」というのもたくさんの家来が集まって来て遺骨が光を放ったということでそのお祝いの文書を皇帝に奉った。そうして、「陛下の聖徳聖感なり」、皇帝陛下の優れた徳に神仏が感動してこういう事態が起きたのであろうというお祝いの言葉を述べた。

 「ときに一臣あり、韓愈文公なり、字は退之といふ、かつて仏祖の席末に参学しきたれり」、一人の家臣がいた。その家臣は韓愈文公と呼ばれる人であって、字(あざな)は退之という名前でありましたから普通韓退之とも呼ばれております。『唐宋八大家文』という唐と宋との時代における優れた文学者八人の作品を集めた本があるわけでありますが、その中の一人として韓退之という文章の非常に優れた人がいた。この韓退之という人が、「かつて仏祖の席末に参学しきたれり」、昔から釈尊の教えの末席に坐って釈尊の教えを勉強してきていた。

 「文公ひとり賀表せず」、ところが韓退之という人は、ほかの家臣たちが釈尊の遺骨が光ったということでお祝いの言葉を述べたけれども、そのお祝いの言葉を述べなかった。

 「憲宗皇帝宣問す、群臣みな賀表をたてまつる。卿なんぞ賀表せざる」、そうすると韓退之という家臣がお祝いの言葉を述べないのを知って憲宗皇帝が質問した。「群臣みな賀表をたてまつる」、たくさんの家来はみんなお祝いの書面を差し出している。「卿なんぞ賀表せざる」、あなたはなぜお祝いの言葉を述べないのかと、こういうことを聞いた。

 「文公奏対す、微臣かつて仏書をみるにいはく、仏光は青黄赤白にあらず、いまのはこれ竜神衛護の光明なり」、そうすると韓退之が申し上げていうのは、「微臣かつて」、「微臣」というのは自分のことを謙遜して述べた言葉でありますが、自分はかつて、「仏書をみるに」、仏教の書物を読んだところが、「仏光は青黄赤白にあらず」という言葉があった。つまり、仏の放つ光というものは青とか黄色とか赤とか白とかいう色彩をいっているのではないと、こういう言葉が仏教経典の中に書かれていた。「いまのはこれ竜神衛護の光明なり」、そこで、釈尊の遺骨が光ったというのは龍神というというふうなものが遺骨を守っているという意味での光であろうと、こういう意見を述べた。

 「皇帝宣問す、いかにあらんかこれ仏光なる」、そうすると憲宗皇帝が、それでは仏の光というのはどういうものであろうかと、こういうふうに質問をしたところが、「文公無対なり」、韓退之は返事をしなかった。

 この返事をしなかったという言葉の意味がどういう内容を持っているかというと、韓退之は釈尊の教えに関連する事実は、言葉では表現できないものだ、現実そのものだから言葉では説明できないものだということを知っていたために、皇帝の質問に対して答えをしなかったと、こういう意味になるわけであります。

 「いまこの文公、これ在家の士俗なりといへども、丈夫の志気あり、回天転地の才といひぬべし」、道元禅師がこの韓退之の態度をほめて、「これ在家の士俗なりといへども」、この韓退之という人は僧侶にはなっていない、ごく普通の社会生活をしている人ではあるけれども、「丈夫の志気あり」、「丈夫」というのは一人前の男という意味であって、一人前の男としての心意気を持っている。「回天転地の才といひぬべし」、そのような力量というものは天地をひっくり返すほどの力量があり、さまざまの境地を変化させるだけの力を持っているということがいえる。

 「かくのごとく参学せん、学道の初心なり、不如是学は非道なり」、道元禅師がこの韓退之の態度に対して、このような形で仏道を勉強することが、「学道の初心なり」、仏道の勉強をする最初の心がけである。「是ノ如ク学バザルは非道なり」、韓退之のような勉強の仕方をしない場合には釈尊の説かれた真実とは違う。

 「たとひ講経して天華をふらすとも、いまだこの道理にいたらずば、いたづらの功夫なり」、そうして仮に経典の講義をしてその講義が優れているところから天から花が降ってくるというふうな優れたものであっても、「この道理にいたらずば、いたづらの功夫なり」、ここに述べたような解釈に到達しなければ、せっかくの努力が役に立っていないということがいえる。

 この道元禅師の理解の仕方、あるいは韓退之が皇帝に対してお祝いを述べなかった理由は何かといいますと、釈尊の教えでは理屈の通らないものはないということと関係している。釈尊の教えというのは、理論的な問題として考えるならば、不合理なものを絶対に含んでいないと、こういう思想が基本にあるわけであります。

 この思想は龍樹尊者の『中論』の中にもありまして、この世の中は一切が理論的なものだと、こういう主張があるわけであります。

 これが何を意味するかというと、科学思想というものもその範囲では絶対の真実に含まれていると、こういう主張になるわけでありまして、釈尊の教えがいかにありがたいかというならば、原因・結果の関係というものを信じているというところにある。

 原因・結果の関係というものを最も明快に説いている思想が欧米の科学思想であります。もちろん釈尊の教えは科学思想だけではない。しかしそれと同時に、科学思想に反するような思想というものは正しくないというふうな基本的な考え方を持っているということがあるわけでありまして、その点では韓退之という人は、遺骨が光ったからといってそれがそう特別におめでたいことでも何でもないと、こういう考え方を持っておりましたから、遺骨が光ったことについて特別のお祝いをしなかった。

 今日の科学思想からいうと、遺骨の中には燐が含まれておりまして、それが自然発火するというふうな事実があるわけでありますから、韓退之という人は、そういう科学的な知識はまだなかったわけでありますが、単にそういう物質的な特別の現象を特に意味のあることとして受け取るのはおかしいと、こういう理解をして、そのことを祝うための言葉を皇帝に対して述べなかった。

 道元禅師もこの世の中が理論に貫かれているという理解を仏教に対して持っておりましたから、この程度の合理的な考え方ができなければ釈尊の教えがわかったことにはならないと、こういう趣旨を、「たとひ講経して天華をふらすとも、いまだこの道理にいたらずば、いたづらの功夫なり」と、こういう表現をされているわけであります。

 「たとひ十聖三賢なりとも、文公と同口の長舌を保任せんとき、発心なり修証なり」、そこで、「たとひ十聖三賢なりとも」、「十聖三賢」というのは菩提薩埵の修行の境地でありまして、したがって「十聖三賢」というのは十の神聖な境地、あるいは三種類の頭脳の優れた境地というふうな言葉で菩提薩埵と呼ばれる修行者の境地を指しておりまして、そういう菩提薩埵の境地に達しているような人といえども、「文公と同口の長舌を保任せんとき」、韓退之と同じように同じ言葉で釈尊の教えを表現し、それを保持しているというときに、「発心なり修証なり」、仏道を本当の意味で勉強しようという気持ちを起こしたということになるし、また実際に修行し、体験をしているということがいえる。

 「しかありといへども、韓文公なほ仏書を見聞せざるところあり」、ところが道元禅師の見方からすると、韓退之という人が述べている意見は、釈尊の思想を書いた書物というものを十分に見聞きしていないところがある。それはどういう意味かというと、「いはゆる仏光非青黄赤白等の道、いかにあるべしとか学しきたれる」、仏道が持っている光、仏道が持っている輝かしさというものは、青とか黄色とか赤とか白とかいうふうな感覚的な色のことをいっているのではない。そういう教えが、「いかにあるべしとか学しきたれる」、どういう意味で理解してきているのか。

 「卿もし青黄赤白をみて、仏光にあらずと参学するちからあらば、さらに仏光をみて、青黄赤白とすることなかれ」、仮に韓退之が青とか黄色とか赤とか白とかいう色を見てそれは釈尊の説かれた真実が持っている光と同じものではないという程度の理解ができるようであれば、「さらに仏光をみて、青黄赤白とすることなかれ」、釈尊の持っている教えの偉大さというものを見て、青だ黄色だ赤だ白だというふうな感覚的な刺激そのものだというふうに考えるべきではない。

 「憲宗皇帝、もし仏祖ならんには、かくのごとくの宣問ありぬべし」、憲宗皇帝がもし釈尊の教えが十分にわかっていた人であるならば、「かくのごとくの宣問ありぬべし」、釈尊の教えが持っている輝かしさとわれわれが感覚的につかむことのできる青黄赤白というふうな色と性質の上でどういう違いがあるかということを聞くだけの力を持っていたはずである。

 「しかあれば明明の光明は百艸なり」、このように考えてくると、釈尊の教えの中に含まれている輝かしさというものは、思想ではなしに、眼の前に実在している世界そのものである。「百艸」というのはいろいろな種類のものという意味でありまして、釈尊の教えが何を説いておられるかというと、たとえばこの部屋の中でいえば、畳があり、机があり、あるいは座布団があるというふうなことでありますが、そういう世界の存在と釈尊の教えの内容とは同じものだ。そういう意味で、釈尊の教えが持っている輝かしさというものは、この世の中にさまざまのものが存在し、その存在そのものが、現実であり、真実であるという教えを釈尊がお説きになったと、こういう理解の仕方をしているわけであります。

 「百艸の光明、すでに根茎・枝葉・華果・光色、いまだ与奪あらず」、そうして、「百艸」というのはこの世の中のさまざまのものという意味でありますが、そういうさまざまのものが持っている輝かしさというものは、根や茎や枝や葉や花や果実や光や色彩というふうなありのままの事実を、どれを削るとか、どれを追加するとかいうふうな形でなしに、素直にありのままに見るというふうな態度から生まれてくるものが、まさにさまざまのものの輝かしさであり、釈尊の教えの輝かしさであると、こういう解説をしておられるわけであります。

 つまり、この世の中において最も価値のあるものは、この世の中そのもの。頭の中で考えて、この思想が正しい、あの思想が正しいなどといってみても、そんな思想は当てにならない。あるいは感覚的にあれは美しい、あの赤はいい、この青はいいといってみても、それが真実そのものではあり得ない。何が真実かというならば、思想でもない、感覚的な刺激の受け入れでもなしに、現実の世界が眼の前にあって、それが真実だという思想が釈尊の教えだと、こういう主張になるわけであります。

 「与奪あらず」というのは、そういう現に眼の前に示されている現実に対して、余分なものをつけ加える必要もない、余分だからといってそれから取りはずす必要もない。ありのままの世界が真実だと、こういう主張であります。

 「五道の光明あり、六道の光明あり、這裏是什 処在なればか、説光説明する、云何忽生山河大地なるべし」、そこで、五つの原則、あるいは六つの原則というふうな形で仏教思想に対しての説明があり、その説明に伴う現実の世界の輝かしさというものがある。それは別の言葉で表現するならば、「這裏是什 処在なればか」、「這裏」の「這」というのは「この」という意味でありまして、「裏」というのは「場所」であります。したがって「這裏」というのはこの場所という意味で、現にわれわれが生きているこの場所というものは、「什 処在」というのが「這裏是什 処在」という言葉の意味でありますが、それは何を意味するかというならば、われわれが現に生きているこの場所というものは、言葉では表せない何かが現に眼の前にあるという事実にほかならないと、こういう主張であります。

 そのことが何を意味するかというと、宇宙の中の地球という天体の日本という地域の千葉県の一角にわれわれはいまいるわけでありますが、そのわれわれがいる場所も言葉ではいえない何かの存在する場所である。言葉でいえない何かということが何を意味するかというと、現実そのものを指すわけでありまして、「這裏是什 処在」というのも、この場所が言葉では表せない何かがある場所である。言葉で表せない何かというものは現実を指しておりまして、われわれは現実の世界に生きている、そのことを実感することと釈尊の教えを勉強することとは同じだという趣旨になるわけであります。

 こういう思想というものは、一般の人々が聞きますと、「なぁんだ、そんな幼稚な教えなんか誰でもわかっている、子供でもわかっている。だからそんな子供っぽいような教えを述べているのは頭が悪いからだ」と、こういう主張になるわけでありますが、人類は頭が良過ぎたためにさまざまの悩みを持ち、さまざまの苦しみを見て何千年も何万年も生活してきているということが事実でありまして、釈尊がいわれたのは、眼の前にある事実が真実だから、それを見て、それを勉強して、われわれがどんな世界に生きているかということを知るべきだと、こういう主張をお説きになったということがいえるわけであります。

 そこで、「這裏是什 処在なればか、説光説明する、何ンガ忽チ山河大地ヲ生ズルなるべし」、釈尊がいわれるように、われわれがいるこの場所というものは言葉では表現できない何かがある場所である。その言葉では表現できない何かというものが現実を意味するわけでありまして、そういう状況の中で光とは何かを説明する、明るさとは何かということを説明するということに関連して、長沙景岑という人は「何ンガ忽チ山河大地ヲ生ズル」という言葉を使われた。

 これはどういう物語かといいますと、仏教の教えの中では、山や川や大地というものが眼の前にあって、それがこの世の中の真実だという考え方があるけれども、人間はそれを山や川や大地というふうな言葉を使って表現する。実体を考えてみるならば、山や川や大地というふうな言葉が大事なのではなくて、あるいは人間の理解が大事なのではなくて、山や川や大地に代表される現実が眼の前にあるということがわれわれの生きている世界の実情だと、こういう趣旨を長沙景岑禅師という方が説いているわけであります。その物語の中に出て来る言葉、「何ンガ忽チ山河大地ヲ生ズル」、われわれの眼の前には山があり、川があり、大地がある。なぜそういう余分なものが出て来ているのかという疑問を通して、山や川や大地そのものが現実そのものであり、それがわれわれの生きている世界の真実だということを意味しているわけであります。

 したがって、ここの憲宗皇帝が、たくさんの家臣が釈尊の遺骨が光ったということでお祝いを述べたときに、たった一人そのお祝いを述べなかった韓退之という人が仏教思想について多少の理解を持っていたという物語をしているわけであります。

 そこで一三二ページのところにいきますと、長沙景岑禅師の言葉が引用されておりまして、

 「長沙道の、尽十方界是自己光明の道取を、審細に参学すべきなり」、長沙景岑禅師という人が「尽十方界是自己光明」という言葉を述べている。この言葉の意味を十分に勉強すべきである。「尽十方界」というのはあらゆる方角に広がっている世界という意味でありまして、今日の言葉でいえば宇宙を意味するわけでありますが、宇宙はまさに自分自身の輝かしさだと、こういう言葉を述べている。そのことを細かく勉強すべきである。「尽十方界是自己光明」という言葉が何を意味するかというならば、われわれが坐禅をして自律神経がバランスしてくると、この世の中の輝かしさというものに気がつく。交感神経が強過ぎると頭で問題を考えて、理屈は非常に上手になるけれども人生が暗い状況から抜け出すことができない。副交感神経が強いと感覚的にいろいろな刺激を受ける能力が高まって、眼の前の事実はよく見えるけれども、その意味というふうなもについては理解が進まないという形になるわけであります。

 しかし、たまたま自律神経がバランスしていて考え過ぎる世界からも抜け出す、敏感過ぎる世界からも抜け出したときに、その中間において自分自身の輝かしさを実感する。したがって、そういう輝かしさを実感するということが宇宙の実体が見えたということを意味するわけでありまして、長沙景岑禅師はそういう状況を表現するために「尽十方界是自己光明」という言葉を使ったけれども、その言葉の意味を丁寧に勉強すべきである。

 「光明自己尽十方界を参学すべきなり」、そこで、この世の中の輝かしさというものと宇宙とが一つのものだということを勉強すべきである。そしてまた、二メートル足らずの身長で眼が二つあり鼻が一つあるような自分自身というものが宇宙そのものだということを勉強すべきである。宇宙の輝かしさがわかり、自分自身の実体がわかるということが釈尊の教えがわかったことになると、こういう意味になります。

 そこで、「生死去来は、光明の去来なり」、われわれが生まれたり死んだり、ある場所から去ったりまたやって来たりするというふうなわれわれの人生そのものは、輝かしさが行ったり来たりしていることを意味する。宇宙そのものが輝かしさであり、その輝かしさが行ったり来たりしているという状況がわれわれの人生そのものである。

 「超凡越聖は、光明の藍朱なり」、そこで、凡人の境涯を超越する、あるいは聖者の境涯を超越する。これもまた仏教思想の一つの表現でありまして、「凡」というのは平凡という意味でありまして、副交感神経が強いときの状況を「凡」という言葉で表現するわけであります。ごく当たり前のご飯を食べたり寝たりしている人間ということ。それから「聖」というのは交感神経の強いときの状況でありまして、精神的に緊張していて、頭がよく働いて、ほかの人よりも偉いと思われている人のことを「聖」と呼ぶわけであります。

 そういう二つの境地を乗りこえるということが何を意味するかというと、交感神経と副交感神経とが同じ力になって、現実そのものが直接見えるということを「超凡越聖」というわけであります。そういう境地において輝かしさというものが藍色を含んでおり、また朱色を含んでいるというふうな現実の現れ方そのものが「光明」といわれるものの実体であると、こういう趣旨を述べておられるわけであります。

 「作仏作祖は、光明の玄黄なり」、したがって、真実を得た人になる、あるいは伝統的な師匠になるということも、宇宙が持っている輝かしさが、あるいは黒い色に、あるいは黄色い色によって表現されているというふうなことを意味するわけであって、仏道の真実を追求するということと宇宙の輝かしさがわかるということとは同じ事実の裏表である。それが「作仏作祖は、光明の玄黄なり」。

 「修証はなきにあらず、光明の染汙なり」、われわれは夢中になって仏道修行をし、坐禅をし、現実がどんなものであるかということを勉強しているということは、「光明の染汙なり」、宇宙全体が光輝いている。そのことをわれわれの努力をもってわずかに実感しようとしている行ないにほかならない。

 「艸木牆壁、皮肉骨髄、これ光明の赤白なり」、われわれの周囲には草もあり木もある、垣根もあれば壁もある。われわれの体にしても皮があり、肉があり、骨があり、髄がある。そういう現実の事実が、「これ光明の赤白なり」、宇宙が持っている輝かしさがあるいは赤い色に、あるいは白い色に見えているということにほかならない。

 「煙霞水石、鳥道玄路、これ光明の囘環なり」、煙があり、霞があり、水があり、石がある。そういう自然の現象も、「鳥道」というのは鳥が飛ぶ大空の道という意味でありまして、地上の基準から離れた崇高な世界を指すわけでありますが、そういう鳥が飛ぶような崇高な世界も、「玄路」というのは、「玄」というのは黒いという意味でありまして、奥深いという意味がありまして、「玄路」というのは真実を表す奥深い道という意味でありますが、そういう非常に水準の高い真実の道というものも、「これ光明の囘環なり」、宇宙の輝かしさが巡り巡っているだけのことである。

 そこで、先日の東南アジアの大津波も宇宙の光明だということがいえる。「いや、そんなばかな話はない。あんな不幸なことはあってならないことだから、ああいうものはたいへん不幸なことだ」という考え方もあるけれども、天然の脅威がなかったならば人類の文化はここまで進んでいない。天然の被害というものを何千年、何万年もにわたって受け継いだところから、それをどうやって回避するか、どうやって防ぐかということの努力が文化をつくっている。

 だから、天然の被害といえども忌避するだけが狙いではなしに、今度はそういう被害を防ごうということで堤防をつくる程度の智慧が出て来なければならない。非常に温暖な土地であったから、たくさんの人々が海水浴を楽しみ、たくさんの旅行者が訪れて金が落ちたかもしれないけれども、別の意味でそういう被害が起きたということが、人類がどんな生き方をしなければならないかということを教えてくれたという面がある。「いや、そんな都合のいいことをいっちゃ困ります。ああいう天災はもう絶対にないほうがいいんだから、そんなのんきなことをいって天災を多少肯定的に考えるのは間違いだ」という意見もあるだろうし、そのほうが正しいかもしれないけれども、それと同時に、天災の被害がなかったならば人類の文化はこれほど進まない。困ったことが幾らもあって、それを何とかして生きれるように努力しようということで何千年もの文化が形成されたということが事実でありますから、そういう意味も含めて「光明の囘環なり」ということを述べているわけであります。つまり、天然現象の一切の中に輝かしさが動いているんだと、こういう理解もしておられるわけであります。

 「自己の光明を見聞するは、値仏の証験なり、見仏の証験なり」、そこで、自分自身が持っている輝かしさを見たり聞いたりすることが、仏に出会うということであり、仏を見るということである。「値仏」の「値」という字は出会うという意味であります。

 そこで、「自己の光明を見聞するは」というのは、自分自身が輝かしさを持っていることを経験するということ。「そんなばかなことはない。いつも憂鬱な気持ちで細々と生きているのに、自分に光明があるなんていわれちゃ、こっちが損しちゃう」という感覚もあるかもしれないけれども、自律神経がバランスしたときには人間は光明を感ずる、「これが人生か」ということを体験的につかむことができる。

 なぜわれわれが坐禅をするかというならば、さまざまの心配事も忘れて、足の痛いのも気にならずに、ジーッと坐っているところに輝かしさがあり、光明があるという体験をするというふうなことと関係しているわけであります。

 そこで、「尽十方界は是自己なり、是自己は尽十方界なり、囘避の余地あるべからず」、そうすると、われわれが生きている宇宙というものは自分自身だ。それが「尽十方界は是自己なり」。「是自己は尽十方界なり」、この自分は宇宙そのものである。握りこぶしをつくって頭をコツンと叩くと痛い。この自分が宇宙と同じだ。

 これは仏教思想の基本的な原則であります。宇宙とは何かといってみても、現在の瞬間に生きている自分自身だと、そういう思想が仏教の中心的な思想の中に含まれているわけでありまして、したがって、「囘避の余地あるべからず」、そういう現実から逃げて行くわけにはいかない。苦しくても悲しくても、うれしくてもうれしくなくても、とにかく現実があり、それを生き抜いているのが人生だ。だからいいとか悪いとかいうだけの余地のない絶対の事実だ。「囘避」というのは逃げて回るということでありますが、「囘避の余地あるべからず」というのは、否でも応でもこの人生を生きていかなければならないというのがわれわれの実情だし、そのような人生そのものが輝かしさだと、こういう主張になるわけであります。

 「たとひ囘避の地ありとも、これ出身の活路なり」、そこで、そういう状況から逃げ出す道が絶対にないかというと、ないわけではない。ではその苦しみを避けるための境地というものはどういうものかというと、「これ出身の活路なり」、「出身の活路」というのは、頭で考えた世界や感覚的な世界から抜け出して行動の世界に生きるということ。

 「出身の活路」という言葉は道元禅師がよくお使いになりますが、「出身の活路」というならば、行ないの世界そのものを指しているわけであります。思い悩んでいても解決にはならない。解決にはならないから、逃げて逃げて逃げまくっても楽しくはならない。何が人生を楽しくするかというならば、行動的になって行動の世界に生きることだ。その行動の世界に生きることを「出身の活路」というふうに道元禅師は表現されているわけであります。

 「而今の髑髏七尺、すなはち尽十方界の形なり、象なり」、そこで現にわれわれは、「七尺」というのは人間の身長を指しておりますが、中国における長さの単位も基準が時代によっていろいろに変わっておりますから、ある時代には人間の体の平均が七尺というふうな長さで表現された時代もあるわけでありますが、「而今の髑髏七尺」というのは、現にわれわれが持っている二メートル足らずの体というものは、「すなはち尽十方界の形なり、象なり」、宇宙全体の形であり、姿である。

 こういう思想は常識的には「本当かな」というふうな疑問が出るわけでありますが、この考え方が仏教思想のかなり中心的な原則をなしているわけであります。つまり、宇宙というものは何かというならば、自分が現在の瞬間においてやっている行ないそのものだ。自分といってみても、六尺の人体が自分自身ではなしに何かをしているという動きの中に人生があり、価値があると、こういう主張であります。

 「仏道に修証する尽十方界は、髑髏・形骸・皮肉・骨髄なり」、そこで釈尊の教えの中では人間というものを単に精神的なものだけとしては受け取っていない。人間というものは骨格であり、体であり、皮であり、肉であり、骨であり、髄である。そういう肉体そのものが「仏道に修証する尽十方界」である。

 釈尊の教えの中では、われわれがそういう体を使って実行する行ないそのものが宇宙そのものと別のものではないと。こういう思想は『正法眼蔵』の中に出て来ますが、それと同じ思想が龍樹尊者の『中論』の中に出て来るということが実情でありまして、仏教哲学の一つの基本的な考え方は、現在の瞬間において何かをやっている自分自身の行ないそのものが宇宙そのものであると、こういう主張を基礎に置いているわけであります。

 西洋の哲学でデカルトという人がおりますが、そのデカルトという人は、自分の哲学を表現する言葉として、「我思う故に我あり」という主張をしている。これはどういうことかというと、自分の存在は自分が何を考えるかによって決まる。したがって人間の脳細胞の働きが最高の価値だというふうな近代的な考え方の出発点になっているというふうに見てもいいような言葉でありますが、それと似たような形で唯物論を説明するならば、われわれは感覚的に刺激を受ける、その状態そのものが宇宙全体だ。つまり、自分が眼でものを見る、耳で音を聞く、そういう感覚的な働きが宇宙のすべてだと、こういうふうな表現にもなるわけであります。

 そうすると仏教思想をどういうふうな表現で表すかというならば、「我行なう故に宇宙あり」と、こういう哲学で仏教哲学は構成されているということができるわけであります。

 だからこの世の中の実在が、頭で問題を考えることなのか、あるいは感覚的に眼で物を見たり、耳で音を聞いたりするという状況の中にあるのか、あるいは自分が一所懸命実行することによって人生があるのか、宇宙があるのかと、こういうふうな三つの基本的な考え方があって、どれを選ぶか、どれが正しいと思うかというところに釈尊の教えを選ぶか選ばないかの違いが出て来ると、こういうふうな事情を持っているということがいえるわけであります。

 いつもと似たような時間に近づきましたので、きょうはここで話のほうをとめまして、またご質問を受けるということにしたいと思います。何かありましたらどうぞ。

 問  お正月の新聞を読んでいましたら、ある経済団体が去年の新入社員に対してアンケートを取っているわけですけれども、自分をどの程度の人間だと思うかということで、自己評価をしてみろということなんですね。お金に直してよかったみたいですけれども、たとえば百万円といってもいいし、一千万といってもいいし、一億といってもいいし、自分で自分の値段をつければいいわけですね。

 ところが、一番多かったアンケートの答えは〇円だったんですね。つまり自分の自己評価は〇円が一番多かったらしいんですよ。

 それに対しまして精神科のお医者さんがコメントを書いていましたけれども、やはりこの不景気が続いている中において会社の将来も不安だし、年金ももらえるかどうか怪しくなってきたし、自分にも自信がないしということで、自信を失っている人がやはり増えているんだろうということだったんですね。

 そんなことを考えながらきょうの講義を聞いておりましたら、まったく違う発想をしている人が、長沙景岑禅師とか道元禅師のような方がおられるということもありまして、ここはどういうふうに頭の中を整理すればよろしいんでしょうか。

 答  自分で自分の価値はゼロだと思っているのは正しいんだろうと思う。その人はゼロの価値しか持っていない。(笑)だから自分の実感を述べているだけであって、それはもう可能性としてはあり得ますよ。

 二本の手を持っている、二本の足を持っているからちょっとは価値があるかというと、そうではない。「役に立って人間」なんです。役に立たないで、ぼんやりして、ご飯を食べました、寝ました、ご飯を食べました、寝ましたといったら、人間としての価値がないというふうに見られてもおかしくないんだと思う。

 「いや、そんな厳しいこといっちゃだめだ。人間がオギャーと生まれて育つまでたいへんに時間がかかっているんだから、タダではあり得ない」という考え方はあるかもしれないけれども、役に立たなければタダですよ。

 こういう過激な表現をしちゃいけませんが、(笑)一つの表現としてはそういうことがあり得るし、私は一切のものが役に立ってこそ価値だという見方をしています。

 だから何にもしないでご飯を食べて寝ていれば、価値はゼロかゼロに近いというふうにいわれても仕方がないんじゃないかと思う。

 問  この仏教の考えでいきますと、自分の価値というのは尽十方界と同じだけの価値があるということを長沙景岑禅師はおっしゃっていますけれども、できることならば毎日そういうふうな実感を持って、自信を持って生きたいというのは誰しもが願うところなんですが、やはりこれは坐禅とか仏教の勉強で功徳として具わってくるというふうに考えてよろしいわけですか。

 答  うん、そう。だからその点でね、行ないを大切にするという考え方と仏教思想と非常に近いという問題があると思います。世界には三種類の哲学しかないんですよ。

 頭で考えたことが最高だというのが一つの哲学。感覚的にいい思いをするのが最高だというのも一つの哲学です。最近でもお酒を飲んでいる人が「うわァー、最高だ」なんていっていることはあるけれども、そういう人はそういう価値観で生きているわけです。

 仏教では体を動かして働いたときに人間としての価値があるという主張をしたわけです。この考え方が恐らく正しいんだろうと思う。私はそういう考え方が正しいんだろうと思う。

 しかし、誰もがそう考えているとは思わない。立派な家に住んで、立派な着物を着て、おいしいものを食べて、それが最高だと思う人もいるかもしれない。

 問  はい。ありがとうございました。

 問  昨年十二月でしたか、この会で新潟大学の安保徹先生の『免疫革命』の講演記録というのを拝見いたしまして、たいへん貴重な 論文といいますか、ご老師のお考えに非常に近い形で免疫学の面から書いてあるということで、家族も含めて、持ち帰りまして、仏教の話というよりは、医学の面から自律神経のバランスが非常に大切だという説き方をされているトーンなものですから、非常に理解がしやすいといったようなことがありました。

 その際に私が思いましたのは、仮にご老師のお考えと安保先生の自律神経のバランスが大切だというお考えで、たとえばご老師と安保先生がご対談などされまして、安保先生ご自身のお考えといいますか、宗教体験ですとか、あるいは宗教に対する考え方かどうかというのは一切わからないんですけれども、最近のいろいろな出版物などでご著書なども非常に広く読まれている状況にあるといったことで、たとえば安保先生が仏教に対するご理解を、ご自身の学理との連携といいますか、気持ちを持って説かれていくと、ご老師のお考えがより広く世の中に広まっていくのではないかなという感想を持ちました。

 それに関して、医学の面からの立場とご老師の仏教といいますか仏道の立場の接点から考えて何かコメントでもいただければと思いますけれども。

 答  その点ではですね、自律神経というものの存在が発見されて、それが人類の思想にとてつもない強い影響を持っているという事実は非常に貴重だと思います。人類の歴史の中では観念論というとてつもなくすばらしい哲学が確立されている。それに対して、それの批判としての唯物論のすばらしい哲学もすでに確立されている。

 最近の傾向は何かといいますと、観念論も一面的だ、唯物論も一面的だという傾向が二十世紀から出ていると思います。だから心だけでもない、体だけでもないという哲学が幾つも出て来ている。実在論の哲学にしても、現象学にしても、あるいは生の哲学にしても、プラグマティズムにしても、全部心と物との中間に何かがあるという考え方が基礎になって二十世紀以降の哲学が進んでいるというふうに見ていいと思います。

 その理論と自律神経のバランスとが合流しますと、新しい絶対の真実というものが地球上に広がるという見方をしています。で、安保先生のご意見もまさにそれの一つの非常に大きな要素になるわけです。

 先日、安保先生に個人の手紙を出しまして、ダーウィンの進化論に匹敵するような革命的な理論だと思うけれども、そういう新しい思想が出て来た場合に、古い社会の勢力によって弾圧を受ける、抹殺をされるという危険が非常にあるから、そういうことを注意していただきたいというふうなお手紙を差し上げたんです。

 そのことはまさに事実であって、あの免疫学の力というものについての意見も、製薬業界にとってはとてつもない敵ですよ、古い医学思想についてもとてつもない敵ですよ。だからよほど注意しないと古い思想によって抹殺されるという可能性は十分ある。

 だからダーウィンが進化論を発明したときに、この思想を表明して自分の生命が大丈夫かどうか心配をしたというのは当然のことで、文化の進歩というものとは、そういう古い時代との争いがあり、摩擦があるというのは不可欠だと思います。

 だから非常に偉大な思想であると同時に、人類としてはそれを大事にして発達させるという努力が必要だと思いますけれども、あの教えがだんだん勢力を得てくると、製薬業界も、あるいは医学界も黙っていないと思う。だからその辺がどう展開していくかというようなことは今後非常に大事な問題だと思います。

 この十二日にそこにおられる優さんが安保さんのところへ会いに行ってくれた。それでいろいろお話を伺って帰って来てくれたわけです。

 だからそういう点で、今後そういうふうな動きが当然あり得ると思うし、人類がこれ以上の進歩をするためには、そういう世界観の転換が不可欠なんです。その点では、人類が有望な時代に入りかけているけれども、そのことは同時に危険が非常に高まったということでもあるわけです。だからそういう正しい意見を長々と後世に伝えるためには、よほど慎重にしなければならないという問題も同時にあるというふうに感じています。

 問  はい、わかりました。

 問  いまのお話で、やはり同じような方がおりまして、その人は森下敬一さんとおっしゃって自然医学ということでいろいろ書籍を出しているんです。いまガンの話というのは日常茶飯事ですけれども、ガンというのは増殖するというふうに通常いわれていますよね、われわれもそうだというふうに信じているわけなんですけれども、その森下先生の説は、ガン細胞というのは増殖するんではなくて、新たにつくられるものだという説なんですね。

 それはどういうことかといいますと、血液そのものは通常は骨髄でつくられる。白血球もそうなんですけれども。森下先生の説は、血液というのは骨髄からではなくて腸からつくられる。要するに赤血球が変じて細胞になっていく。その赤血球自体を健康なものにするには、肉食ではなくて植物性蛋白質を摂っていて血液を浄化すれば正常な血球ができてきて、それがさらに細胞に変じていくと、こういう説を唱えたということなんです。

 それで学会で一時は発表したんですけれども、やはり先ほど先生がお話されていましたように、真っ向からそれを否定されていたという話があります。

 答  うん。だから人類は利口なようであんまり利口でない面もあって、自分たちの幸せの芽を摘んでしまうという努力も結構あるわけです。

 確かに従来の社会が一定の説で生活が成り立っている場合に、自分の生活を犠牲にして正しさを主張するという勇気のある人というのは意外と少ないんだと思う。「自分が食べていけなくなると困るから、こういう余分なことはいわないでくれ」というふうな動きも人間として当然あると思う。だけど、それでは人類の文化の進歩というのはあり得ない。

 問  先ほどの稲岡さんのご質問とちょっと関連するんですけれども、ものの価値判断ですよね。仏教は感覚的なものとか、考えるものとかじゃなくて、アクション、行動そのものを重要視する、そういう教えであると。

 そのことからしますと、われわれはそれを学んで、そういうご老師の価値判断に沿っていて、いろいろ有益的な行動を起こしつつ学んでいるんですね。

 しかし一般世間では、卑近な例では、たとえばいまNHKの大河ドラマで「義経」というのが新年度ということで一月から始まったわけです。それのアンケートといいますか、本来ならば、仏教的立場からすれば、同時代でやはり頼朝と義経というのは好対照になるわけですけれども、やはり圧倒的な国民の支持というか、好き嫌いの判断からいうと、義経だと、頼朝はどうも好かんと。

 しかし、仏教的ないまの立場からすれば、鎌倉の武士という、いままでと百八十度転換して公卿社会から武家社会にしたいわば超エリートというか、これは義経なんかぜんぜん問題にならないと。やったことからすればね。ただ、一般の価値判断からすれば、どちらかといえば義経のほうが上だと、こういう判断。

 これは先ほどご老師がいわれた、価値判断の一つの感覚的なところからなので、これはこれでまあ認めてもいいと思うんです。

 そうだとすれば、ちょっと卑近な例なんですけれども、石原都知事が、知事に当選して、一回、江戸幕府が開設して四百年だ、記念すべきだと、それじゃひとつ銅像という案も出たらしいんですよ。そしたら当然徳川家康だと、こうなるわけです。ところが委員の連中がみんな反対したそうです。それはだめだと。

 それで昔の旧東京都庁のところにつくったときも、やはり太田道潅ならば、ぜんぜん関係ないわけなんだけど、家康より百年も前の人だから、江戸はそのとき江戸村で何もなかった。道潅という案もあった。そのときも否定されたそうなんですよ。

 だから日本人のものの価値判断というのは、その人がやった功績、行ないというよりも、やはり好き嫌いの感覚的なものが多いんじゃないか、そういうことで是非を判断していると、非常に歎かわしいんですけどね。

 われわれからすればやはり家康なり頼朝が来るんですけれども、こういう点はどうでしょうかね。

 問  それと同時にね、歴史を眺めると、滅びた権力というものはメチャクチャに悪くいわれるんだよね。だから平氏が非常に盛んだったときには、平氏でなければ人でないというふうな考え方があったけれども、いったん源氏の世の中になると、清盛に対する悪評というものはものすごく文学の世界でも出て来ている。

 それで今度は源氏が北条氏に替わって北条氏から足利氏になると、また北条氏が非常に悪くいわれる。それで足利幕府が倒れると足利尊氏などもとてつもない悪人のような評判が出るし、その点では、秀吉にしても、徳川家康にしても、勢力のあるときには非常に尊敬される、権力を失うとクソミソに叩かれるというのは事実です。

 問  そうですね、まあいわばその人がどんなことをしたかというよりも、世間はむしろほかのところに重点を置いているんですね。

 答  そこでね、正しい歴史の見方というのがある。で、正しい歴史の見方を持たないと国家はろくなことにならない。

 問  それはいえますね。

 答  うん。だから歴史の正しさというのは国家にとって非常に大事なんですよ。

 だから靖国神社の問題なんかにしても、正しい眼で見るべきだと思う。私は正直いうと、いわゆる国際裁判で批判された人を無理に靖国神社に祀る必要はなかったと。あれを誰がいつやったかというと、あんまり明瞭じゃないんです。こっそり何となくやっちゃった。それがいま国際的にはいろいろいじめられる種になっているけれども、あの人たちを靖国神社に無理に祀らなければならなかったかどうかということにも問題があるわけだけれども、どうしても祀りたいという気持ちの人もいたし、祀っちゃったからどうもまずいなという感想の人もいるし、だからそういう点で、どういう見方が正しいかという正しい判断を持つということがどこの国にとっても大事なんです。

 だから私の正直な感想をいえば、靖国神社に参拝してどこが悪いんだという考え方を持つと同時に、いわゆる戦犯といわれる人々がこっそり祀られてしまったのもまずいなと思う。だからそういうまずいことをやっていたら摩擦が起きるのは当たり前。まずいことをやらないように注意しなきゃならんということにはなる。

 それと、今日の情勢の中では、やっぱりよその国でいえば無名戦士の墓だから、総理大臣が参拝してどこが悪いんだという考え方も成り立つと思います。

 問  しかし、こういうばかばかしいといっては非常に申しわけないけど、こういうことで日中の間がギクシャクするのもなんか大人気ないというか、そういうふうに感じますけどね。

 答  ただ、たとえば参拝をやめるとなると、政権の動向というのは変わりますよ。だからそれがいいのか悪いのかという問題もある。人々が非難しないように、人々が非難しないようにということで動いていれば、政治はあり得ません。

 問  政治の一つのメルクマールとして、ささいな、どうでもいいようなことが一つの命取りといいますか、それが契機になる場合がありますね。

 答  うん。だから正しいものの見方というのは大事なんです。それと、右左に偏らないということが大事なんです。

 問  それにはやはり仏教的なものの見方というのがね……。

 答  私はそう思う。だからそういう時代がもう来ていると。だからそのことに気がついて、そういう基準で問題を考え直す必要がどうしてもあるんだという見方をしています。

 問  でも、仏教的な見方をすると、現実肯定ですから、やはりあんまり批判しないということも出て来るんじゃないですか。それを憂いているんですけどね。

 答  うん。それでね、正直いって、現実的な立場で問題を考えると、選択は二つない。一つしかない。そういうたった一つの選択が大事なんですよ。選択というのは、右か左かの二つに分かれて、どっちがいいかというふうなことになるけれども、そういう選択というのは現実の世界ではあり得ない。たった一つの選択しかないんですよ。だからそのたった一つの選択をいかにしてつかむかということが人間の義務だと思います。

 問  ああ、なるほどね。わかりました。どうもありがとうございました。

 答  私は正直いって釈尊というのはたいへん偉かったと思う。釈尊がおられなかったら、われわれはいまでも暗闇の中で手探りで光はどこだ、光はどこだといってウロウロしていますよ。それで、それの問題の解決がつくかというと、つかないと思う。釈尊ほどの頭脳があったから初めて仏教思想が成立したんであって、釈尊がおられなかったら、龍樹尊者といえども本当のことはわからなかったし、道元禅師といえども本当のことはわからなかった。釈尊がおられたから龍樹尊者があり、道元禅師がいるんだということは事実だと思います。

 問  そういう意味では、われわれもありがたいと思いますね。

 答  本当です。だからもし釈尊がいなければ、私は生きていく気がないな。(笑)そんなばかげた世界でウロウロして、真っ暗闇で「何が本当か」なんてウロウロしているのは嫌だよ。(笑)

 問  みんな仏教教徒の人、僧侶の人はそう思っておられますかね。(笑)そうありたいと思いますけどね。そこが問題なんですよ。

 答  だけど、仏教書を読んでみるとね、ああ、この人はわかっていたな、この人はわかっていたなという人が何人もいますよ。『正法眼蔵』に出て来る祖師方というのはやっぱりそれなりにはっきりしたところに行き着いています。

 問  そうですね。

 それでは、時間が近づいたようですから、普回向を唱えて終わりにしたいと思います。

普回向 唱和